日本のコンクールについて思うこと
皆様、お久しぶりでございます。
前回の投稿から5ヶ月も経ってしまいました・・・。
ちょっと言い訳させていただくと・・・
生徒さんはなかなか増えないし、若干心が折れかけブログなんてやめてやる!
と軽いストライキを起こしていました・・。笑
が、しかし、
やはり続けなければ成果は表れない!
ということで再び参上でございます。
さて今日のタイトルですが、日本のコンクールについて。
是非ここで声を大にしていいたいことなので、共感していただける方、
そこから行動を起こそうと思っている方が一人でも多くいれば嬉しいです。
日本に帰国してそろそろ一年。未だになじめません 笑
ありがたいことに帰国後、数件ピアノ伴奏(この言い方も未だに慣れない。というか伴奏という言葉は使いたくない!!)以来を受け、コンクールで演奏することもできました。
初めに衝撃を受けたのは、日本のコンクールは当日ピアニストに指練習もさせてくれないということ。
それなら当然、本番直前にソリストと合わせをすることもできません。
ピアノはあるのに鍵がかかっている始末・・・。
もう怒りを通り越して笑うしかありません。
もはやピアニストは”添え物”という扱いなのでしょう。
残念ながら、私がチェコに経つ20年前となんの変りもありません。
横柄な言い方をするつもりは毛頭ありませんが、
”ピアノが支えてこそソロが生きる”
という解釈が日本の音楽界にはほぼ存在しない。
(もちろん世界レヴェルの人たちや日本の超有名コンクールは別)
もういい加減 ”伴奏” という言い方はやめてほしいのです。泣
本番直前に5分の合わせもできないなんて、馬鹿げているとしか言えません。
ピアニストも不安ですが、ソリストはもっと不安です。
出だしが難しい曲ならさらに不安倍増です。
ソリストとピアノが2人で1つの音楽を目指し、作り上げる。
残念ながらそんな一体となった音楽は、日本のコンクールではほとんど見受けられません。
チェコでは必ず本番前に指ならしができて、ソリストと最後の確認の意味で合わせます。
こんな日本の状況を知ったらチェコの同僚たちはさぞビックリすることでしょう。
反対に笑うかも・・・。
初見で弾けるような簡単なピアノパートならまだしも、むしろピアノの方が難しいのではないか?
というような曲の場合、
いきなり ”はい、本番です。どうぞ~”
は,かなりつらいものがあります。
それから感じたのは、出場者がそろって難曲を演奏していること。
すごい度胸だとしか思えません。
もちろん個人の技量にもよります。
弾けている方も大勢いますから!
チェコでは日本よりも少し曲の難易度は下がるけれど、とにかく一つ一つの音色を重視します。
日本人は難しい曲をいとも簡単に弾ける。
テクニック的には。
技術はやはり昔からしっかりしているなというのを実感しました。
テクニックはとても大事です。
表現にも大いに関わってきます。
でも、テクニックだけの演奏は聞いていても全く心地よくない。
なぜでしょう?
ってもうおわかりですよね?
音一つ一つに全く心が入っていないのです。
音の羅列だけに聞こえて、心がスカスカな気持ちになる。
変な意味で”無”の感覚に似ていると思いました。
20年前と音楽の在り方が変わっていないのだから、
これからも変わることはないのだろうなと悲しくなりました。
そんなネガティヴなこと言いたくないけれど。
やはり音楽は西洋から発生したものだから日本はまだまだ乏しい。
でも本当の音楽の在り方を誰かが伝えていかなければ、
機械でもできる演奏になってしまうような気がして恐ろしいのです。
私のように長く海外で音楽を学んだ者が一人でも多く、
本当の音楽を伝えられたらいいのにと思います。
ちょっとぐらいミスしたって、聴衆に訴えるような印象を残す演奏のほうが、
完璧でノーミスで心なしの演奏よりはるかに素晴らしい。
世界的な演奏家たちだってミスはする。
彼らのそういう演奏を目にすると、なんだかとても人間らしいと思うのです。